木下信  1896~1962

 

(きのしたのぶ)

【近代】

西加茂製糸株式会社社長。長野県下伊那郡龍江村の旧家である木下冨の次男。明治42(1909)年に小学校を卒業し、県立飯田中学校に進学したものの、2年で中退し、冨が興した山二製糸所に勤める。大正5(1916)年8月、冨が山二製糸所を村の組合製糸に売却し、挙母に移住すると、それに従う。翌6年、冨は挙母町の製糸所厚生館を入手し、加茂製糸所と改名して操業を開始した。経営の中心は、信が当たったといわれている。加茂製糸所は大正8年に、第一次世界大戦に伴う好景気を背景として、女工の引き抜きが深刻化したことを受けて操業を停止したものの、翌9年に西加茂製糸株式会社として経営を再建した。初代社長は木下冨であったが、大正11年に冨が死去すると、やがて木下信が社長に就任。信の経営によって、西加茂製糸は市域最大の製糸工場に成長した。昭和12(1937)年に西加茂製糸が加茂繭糸販売組合、同24年に加茂蚕糸販売農業協同組合連合会に改組した後も会長として経営に当たった。愛知県農業会の加茂病院の設立にも尽力し、昭和22年に実現した。昭和33年藍綬褒章受章、37年豊田市名誉市民。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻557ページ

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