(きゅういなはしぎんこうあすけしてんしゃおくつけたりきんこしつおよびどうぜんしつ)
【建築】
足助町(足助地区)。県指定文化財。商業の町として栄えた足助では、明治中期以降になると、稲橋・亀崎・額田銀行などが足助へ進出、大正期には5つの銀行が支店を出店していた。稲橋銀行は、明治33(1900)年に稲橋村(稲武地区)に創立、同36年現在地に足助支店が開設され、大正元(1912)年11月に新社屋が竣工する。社屋(写真)は、木造2階建、切妻造、桟瓦葺、規模は間口4間、奥行5.5間の白漆喰の塗籠造。裏に平屋の前室と金庫室を併設している。建築面積105.56m2、延べ面積144m2、1階と2階の開口部には丸い格子を嵌めて、漆喰の額縁を廻している。なお1階左右の袖壁を軒庇まで立ち上げているが、火除けというより内部への集客空間の確保だろう。室内は、客溜り、カウンター、営業室があり、これらの上部にギャラリー(回廊)が廻る。2階に12畳の座敷を付けている。昭和2(1927)年銀行合併により、岡崎銀行に吸収合併され岡崎銀行足助支店、さらに東海銀行足助支店として昭和36年まで用いられた。その後農協の所有物となっていたが、昭和57年足助町により修復され「足助中馬館」として公開された。その容姿は、塗籠造という日本の伝統的な町屋の形態としながらも、洋風の手法を取り入れ、町並みに大正モダニズムを感じさせる。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻522ページ