旧井上家住宅西洋館

 

(きゅういのうえけじゅうたくせいようかん)

【建築】

平戸橋町(猿投地区)。名古屋市で両替商をしていた井上徳三郎が相場で財をなし、井上町一帯の山林を買収し、大正元(1912)年に井上農場を開いた。洋館はその一角に建っていたが、平成元(1989)年に豊田市民芸館に移築した。建設年代については不明だが、移築時に棟札が検出されていて、それには昭和3(1928)年8月とある。当家の伝聞では、「井上町に移築する前は関戸銀行(愛知銀行の前身)で、名古屋市内から移築した」「移築解体後、長期間保存していた」「明治時代に開催した博覧会の迎賓館であった」ことから、創建は、明治10年代と推測される。明治11(1878)年、愛知県博覧会が開催されたおり、発起人は関戸銀行の頭取関戸守彦であったが、徳三郎がこの銀行で勤務していたことや、移築時には市内の角地に建っていた状況から、その銀行建築を移築したのではないか。これらから推測すれば、その容姿は明治初期の銀行の様子を伝えており、その様式は擬洋風建築となっている。明治初期に民間の大工が伝統的な技法で西洋の建築に似せた折衷式建築を建てたが、ここでも、1階は和風、2階は純洋風、随所に西欧に由来する意匠を取り入れ、独自の造形を創りあげている。構造形式は、木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、妻入り。桁行7.33m、梁間3.65m、延べ建築面積60.66m2、軒高5.7mの和小屋組の洋風建築で、豊田市唯一の明治の西洋館。外観は、1階は出入り口が1か所で、開口部には連子格子窓を付けて閉鎖的にした和風であるが、2階はコリント式柱頭飾りの付いた円柱や雲形模様の幕板、上げ下げ窓、窓枠には大きな家紋の五三桐、ベランダの菱格子天井、下見板張りや洋家具など洋風建築となっている。1階は、入口を入ると7坪ほどのホール(客溜り)と執務室が2室、その境に3尺幅のカウンターを付けており、北側に自在開閉戸が付いている。2階は支店長室と応接室、階段室を挟んで、西側は8畳の洋風の応接室、東側を4畳半の支店長室を洋間としており、その天井面を白塗りの形押しトタン天井を張り上げて、漆喰彫刻を代用している。各部屋周りは突出した半間幅の洋風ベランダが回り、明るく開放的にしている。湯沸し室や便所、倉庫は併設されておらず、別棟となっていたのであろう。国登録有形文化財。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻480ページ