(きゅうえびなさんぺいたく)
【建築】
平戸橋町(猿投地区)。豊田市民芸の森内に所在。4代目海老名三平邦飛の旧宅。邦飛は千葉周作門下で剣術を学び、挙母藩崇化館・尾張藩明倫堂の剣術師範を務めた。明治4(1871)年の廃藩置県により挙母県が成立すると、県の軍事課・会計課に勤務した。旧宅は、この頃に居住していたといわれる建物で、もとは花本町(猿投地区)にあったが、平成8(1996)年に現在地に移築した。建立年代は詳らかではないが、江戸時代後期の小農家の形式を残している。桁行実長4間半、梁間実長2間、入母屋造、茅葺、平入の住宅で、北東(移築前は東)を正面にして建つ。東正面に奥行半間の桟瓦葺の下屋庇(土庇)を付す。現在の間取りは、南側の桁行1間、梁間2間を土間とし、その北に桁行1間半、梁間2間の板間を2室並べ、北端に間口2間、奥行半間の物入を設ける。天井は各室とも細い丸太の棹を桁行に通し、その上に竹簀子を載せる。床は板敷きで、南板間の東側中央に囲炉裏を設けている。土間と板間二室から成る極めて簡素な住宅である。市指定有形民俗文化財。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻274ページ
→ 海老名邦飛