(きゅうじゅつ)
【近世】
三河地域で盛んな武芸の一つ。永禄3(1560)年に松平元康(のちの徳川家康)が駿河・遠江・三河の3か国において武士身分ではない者に対して弓の使用許可を与えたとされたことがその背景にあったと推測される。足助八幡宮等の神社では、災いを取り除くために金的を射止める弓神事が行われた。日置流雪荷派・日置流印西派・大和流といった地域における弓術の師匠が神社等に設けられた矢場における稽古で育成した門人が、弓神事の射手を務めることが多かった。百々の古井政吉や間野村の松井家は三河地域における弓術の師範として多くの門人を指導した。家祖が弓の達人である挙母藩内藤家においても弓術は藩士が学ぶべき武芸として重視された。東大寺通し矢で有名となった安藤早太郎は、弓術の技芸が優れているとして挙母藩に召し抱えられている。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻601ページ