旧御内小学校

 

(きゅうみうちしょうがっこう)

【建築】

御内町(足助地区)。足助町役場より13kmほど登る標高1000m三山の渓谷、神越川沿いに位置している。学校には昭和24(1949)年に電灯、31年に電話が開通した。明治30(1897)年、金沢村立鼎尋常小学校を創設とし、翌年には現在地に石置き板屋根の校舎を落成。昭和30年、足助町立御内小学校と改称している。昭和6年、児童数が増え校舎改築を行う。起工は昭和5年11月で竣工は昭和6年9月。地元(白山)の大工河合新作が3780円で落札した。木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺、建坪64坪(211m2)。昭和18年、高等科設置に伴い増築工事を行い、現在の規模となった。建築面積211m2、桁行27間、梁間4間の片廊下型、下見板張りとし、引き違い窓を付けている。木材は村の負担とし、足助町本町の竹内音作と3000円で契約するが、途中で物価高のため解約され、村直営で施工している。昭和50年前後から児童数が減り始め、昭和62年、児童は男子6人、女子3人となり閉鎖された。平成17(2005)年に改装され、3つの製作工房が入居し再活用されたのち、平成29(2017)年から芸術施設「足助アートエリア鼎(かなえ)」がオープンした。なお、近くの椿立小学校も平成7年、児童数の減少により閉鎖されたが、体験農園をもつ、あすけ里山ユースホステルとして開館している。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻471ページ