旧山内家住宅

 

(きゅうやまうちけじゅうたく)

【建築】

藤岡飯野町(藤岡地区)。藤岡地区飯野町の高台の一画に保存されている。当家は、旧藤岡町大字木瀬にあったものを、昭和45(1970)年から翌年にかけて移築したものである。移築工事に際しては、当初の姿に戻す復原調査が行われ保存修復された。建立年代は、享保15(1730)年頃とされる。主屋は、桁行6間(10.9m)、梁間3間(5.5m)、入母屋造、茅葺、西面建ちとする。間取りは、広間一間取りとし、ニワ(土間)、デイ (板間)の二つの空間からなり、江戸時代の小規模な農家の平面と構造形式をよく残している。柱は、外側では曲がった面皮柱を半間弱間隔に立て、 内部の半間内方の入側通りでは太い角柱を西側桁行に3本、東側桁行に2本、南北両妻の中央に2本の都合7本を立てている。平面は、土間部分では、3間×3間を全面土間とし、西側正面に大戸の入口、東背面は片引き戸の裏口を設け、正面入口南脇と南妻の東端に下地窓を付けている。座敷部分では、全面板間とし、土間境中央の東寄りに1畳ほどの囲炉裏を設けている。開口部には障子、板戸を入れている。構造は土間座敷境の南北両端より半間弱内側の2本の太い鳥居柱には梁間2間強の太い野梁が渡され、鳥居建構造を造っている。この構造システムは土間座敷境から南北に10尺離して3スパン造り、両妻では入側通りの中央に柱を立てて南北に2スパンの梁を渡し、鳥居柱の上部では桁行の梁を渡し、これに直行する上屋梁を渡し、この上部に扠首梁を合掌に組み、茅葺屋根をかけている。柱間寸法をみると、当地方の近世後半の民家では6尺を基準寸法とし、柱心割あるいは畳割により計画されるが、柱間寸法に2尺5寸、5尺、10尺を用いており、江戸中期の当地方の小規模な農家において、2尺5寸、5尺を基準とする寸法が採用されたことが判明する貴重な遺構である。県指定文化財。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻292ページ