旧龍性院新座敷

 

(きゅうりゅうしょういんしんざしき)

【建築】

猿投町(猿投地区)。江戸時代末期の建築。龍性院は猿投神社の神宮寺(白鳳寺)の僧坊の一つで、猿投神社文書には、康暦元(1379)年に「東林坊」として初見し、文禄元(1592)年以降に「龍性院(瀧性院)」と改称されている。猿投神社は、最盛期には16の僧坊を有したとされるが、明治元(1868)年には七院が存続するのみであった。これらも神仏分離令によって取り壊された。廃寺となった龍性院は、客殿・山門(移築)・庫裏・玄関・書院等の主要な建物は破却されたが、離れ座敷と土蔵、庭園は旧状を留めている。旧龍性院新座敷は、江戸時代末期に建立されたと考えられる建物で、桁行実長4間、梁間実長3間、一軒疎垂木、桟瓦葺、東を入母屋造、西を切妻造とする。間取りは東に床の間・押入付の8畳座敷、その西に3畳座敷を南北に2室配す。北の3畳座敷には押入を付し、押入の南は半畳の取り合いとする。座敷の南と東にはL字型に縁を付す。8畳座敷は、面取角柱を用い、東面と南面は実長2間の柱間に腰付障子四本を引違い、西面は襖の引違い、北面は西に間口7尺ほどの床の間、東は押入とする。床柱は磨き丸太、床框は欅材、床には地板を敷く。天井は鏡板張りとする。床の間の奥行を2尺弱と浅く、背面は物入とする。8畳座敷は、床の間を除いて長押を廻し、小壁は大津壁仕上げの土壁、床は畳敷詰め、天井は太鼓張りの紙貼り天井とする。北西の3畳座敷は、桁行実長1間、梁間実長1間半で、柱は面皮付の材、壁は土壁、建具は襖、障子、長押は打たず、内法上は小壁とする。床は畳を敷詰め、天井は棹縁天井を張る。室は数寄屋風にまとめられ、茶室として使われていたという。南西の3畳座敷は、桁行実長1間半、梁間実長1間とし、建具は腰付障子・襖を入れる。長押は打たず、内法上は小壁とし、土壁は薄青色の仕上げとする。天井は棹縁天井とする。南縁・東縁とも床は切目板張り、天井は疎垂木の化粧軒裏をみせる。

『新修豊田市史』関係箇所:22巻404ページ