(きゅうわたなべいいん)
【建築】
足助町(足助地区)。建造時期は明治中期以降とみられ、医院を営業していたが、それによる改造はなく、近世的な町屋として、この町並みの形態をよく示している。木造2階建、切妻造、桟瓦葺、平入の塗籠造。坪の内東面に、蔵と納屋が付いている。敷地面積は、258.91m2 延べ床面積231.26m2(1階140.2m2 2階91m2)。主屋は、桁行8.5間×梁間5.5間で、軒高5.59m、2階梁天端まで2.58mある。構造は2本の太い柱(260×240mm、210×210mm)を中心に、最大400mmほどの指鴨居を縦横に指して固め、さらに屋根裏(和小屋)では丸太を縦横に架けて、頑丈に施工している。正面外観は、ガラス戸となっているが、痕跡(ニワの天井に鈎が残る)から、入り口に大戸が建てられ、床上の部分には蔀戸と障子戸が入っており、一部には障子と格子が嵌められていた。なお、「オクミセ」の竪繁格子は当初のものである。2階には格子はないが障子と雨戸が入っており、当初の形態を保っている。このほかは1、2階とも改造が少なく当初の状態を良く保っている。一方、建物の両側面と庇下は土壁と白漆喰を塗り防火構造(塗籠)としている。側面は黒色の簓子下見板張りとなっている。平面計画は、東側に「トオリニワ」を通した2列2室、建物の後部(南西)に角屋が突き出した形式で、12畳の「ミセ」「オクミセ」を配し、南端に箱階段を置いている。今はないが東南に厨房が置かれたと思われる。「ニワ」の天井は吹き抜けが通常だが、ここでは大引き天井となっていて2階が設けられている。「ニワ」の一部に床が設けられ、二階に上がる階段がついている。2階の間取りは、正面側の奥行き2.5間を16畳と10畳の2部屋からなる広い座敷として、床は畳、建具は幅広の障子である。天井を高い竿縁天井としており、建設年代が新しいことを示している。北側の開口部の建具は、失われているものが多いが、残っているものは引違の障子で、外に雨戸があり両端に戸袋があるが、当初のものと思われる。南側は板間で物置となっており、当初の形態は判明しない。また井戸が角屋に接近しすぎており納まりが悪く、「オカッテ・ヘヤ・ブツマ」は後からの増補と推測される。足助町に譲渡されて、平成17(2005)年から飲食店「塩の道づれ家」として利用されている。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻489ページ