教育会     

 

(きょういくかい)

【近代】

明治10年代前半、地域における教育行政上の方針や課題を協議するものから、教員の研修や情報交流を目的とするものまで、さまざまな教育会が誕生した。市域ではこの時期、独自の教則を制定したことで知られる西加茂郡の学事会議をはじめ、東加茂郡の教育研究会、北設楽郡の学事研究会や学事会があった。全国的に教育会が簇生する中、明治14(1881)年に文部省が府県に教育会の取り締まりを指示した。これを受けて、校長・首座訓導など指導的な教員や学務委員などを中心とする郡の教育会が規則の認可を申請し公認されていく。明治20年代には無資格教員である授業生をも含む教員の自主的な研修や互助を目的とした郡単位の教員組合会も作られた。明治30年代に入ると郡教育会は、八名・南設楽・北設楽三郡連合教育会のような隣接郡の教育会と連合体を結成する一方、県レベルの愛知教育会と連絡をとりつつ、町村単位の教育会の組織化を促すなど縦横の連携に取り組んだ。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻119・255ページ