共栄養蚕

 

(きょうえいようさん)

【現代】

豊田市の急速な工業化に対応して、養蚕農家と兼業農家の契約生産による相互扶助の仕組みをつくり、両者が「共栄」の実を取って、地域の養蚕経営を規模拡大しつつ存続させようとする地域的対応を指す。具体的には、養蚕専業農家が兼業農家から桑を買い取り、兼業農家の水田の耕起・代掻きを農協協定賃金で請負う一方で、兼業農家は桑の栽培と供給のほかに、契約先の養蚕農家を手伝って協定の労賃と桑園の肥料の現物支給を受けていた。この方式は、昭和35(1960)年に石野地区で始まり、養蚕農協が桑の需給調整や代金清算等を行うようになって普及した。また、労働流出だけでなく、傾斜地での省力的な桑の草生栽培が土壌流出を防ぎ、ベテラン普及員や加茂蚕糸販売農業協同組合連合会による支援もその普及を後押しした。この結果、石野地区は、昭和43年度に朝日農業賞を受賞した。

『新修豊田市史』関係箇所:5巻239ページ

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