(きょうか)
【近世】
伝統的な和歌とは対照的に余儀座興的に詠まれた世俗的な文芸の一つ。詠みぶりだけでなく詠み手の狂名も洒落たものを名乗って楽しんだ。天明期以降、三河では碧海郡新堀村(岡崎市)の木綿問屋深見佐兵衛が岡崎を中心とした擣衣連(とういれん)という狂歌集団を率いた。天保期以降は、足助・挙母・九久平(松平地区)に居住する人物が狂歌集に散見されるようになる。殿貝津村(保見地区)の湖静は、狂歌集団琵琶連を率いていた便々館琵琶麿が天保15(1844)年に死去すると、3代目便々館を継ぎ、三河を中心として琵琶連は活発に活動した。湖静は隠居して「琵琶翁」を名乗り、琵琶連を名古屋の加藤琵琶彦が引き継いだ後も、「前便々館」として三河を中心に狂歌集の撰者や判者として活躍した。湖静と交流のあった足助の商人小出権三郎は、狂名を「弓月」と名乗った。権三郎は窯を築き、瀬戸の陶工を招いて弓月焼(真弓焼)と呼ばれる焼き物を焼かせるが、弓月焼の表面には狂歌が記されていることが多いのが特徴的である。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻576・582ページ