(ぎょうしょうにん(さかな))
【民俗】〈食生活〉
かつては魚は行商人から買うことが多く、昭和 30年頃には盛んだった。市域には、主に大浜(碧南市)から名鉄三河線を利用して売りに来ていた。年配の女性が多く、鮮魚や練り物、乾物を入れたガンガン(ブリキ製の箱)を背負ってきたり、駅に置いた乳母車や自転車などで運んで来た。かつては米と魚を交換することもあったという。大浜以外では、名古屋や形原(蒲郡市)、知多方面などからも行商人が来ていた。得意先には留守でも魚を置いていったので、次に来た時に米で支払った。毎日来るわけではなく、週2、3回くらいの割合が多かった。先にまわったムラで魚が売り切れてしまうと、遅い時間にまわるムラには来ないこともあった。結婚式などの際には、魚の行商人を頼んで家に泊まり込みで料理を用意してもらうこともあり、魚の行商から仕出屋や料理旅館を始めた人もいた。魚の行商は、昭和50年代から平成の初め頃が最後だった、というムラが多い。〈食生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻313ページ、16巻312ページ