(きょうどうろうどう)
【民俗】〈社会生活〉
共同の労働慣行には、ムラ全体の生活や生産活動を円滑にするため、出役といい、すべての家から基本的には男性(世帯主)が出て無償の作業を義務付けたものと、受益者、ムラ組・組など特定の範囲の家だけで、時には輪番で行うものがあった。ムラ全体の共同作業はオヤク(御役)、ソウヤク(総役)、ヤク(役)などと総称され、ミチヤク(道役)などと呼ばれる道路の草刈りや清掃と整備、カワザライ(川浚い)・ミゾヤク(溝役)などと呼ばれる水田を灌漑する用水路や河川の清掃や草刈り、オニワクサと呼ばれる神社の清掃などがあった。道路の整備は秋や盆前が多く、足助では山車が通る道と足助祭りに来てくれる近郷近在の人々のための道を直した。このほか、祭礼の諸仕事、防火水槽の清掃、共有林の枝払い・下刈りや植林、総会の出席、通学路の清掃や雪掻きなどもあった。家の都合で共同作業を欠席する場合、ヤクブソク(役不足)、デブソク(出不足)、フサン(不参)などといい、多くのムラで何らかの罰則を設けていた。罰則には道路修繕、学校のための作業など、ムラのほかの仕事に従事して出不足分を解消する方法と、決められたデブソクキン(出不足金)やブギレ金を納める方法があった。ただ、出不足金を払えばよいという考えが広まれば共同作業が成り立たなくなるため、お金の徴収より共同作業に従事することが求められた。また、かつての共同労働には力仕事が多かったこともあり、女性の出席を認めなかったり、出ても男性に対して何割か低くみられたりして、その分、出不足とされたところも多かった。近年は会社勤めの人が多くなったことから、男女の差をなくし、誰が出てもよいとされるようになっている。一定の範囲の家で行う共同作業には、葬式や結婚、農作業、日常生活の各場面での手伝い合いがあった。とりわけ田植えなど、短期間で作業を済ませなくてはならない場合にはユイ、テマガワリなどといって、特定の仲間同士で労働交換が行われた。ただ、それぞれの家族構成の違いから交換労働が難しく、日当を払って人を頼むようになったところも多い。また、テッタイ(手伝い)、オトリモチなどといって、見返りを期待しないで組やムラの人が一方的に労働を提供することもあった。戦時中の出征で男の手が足りなくなった家や、働き手が病気で田植えなどの農作業ができない場合のほか、家の建前、屋根葺き、葬式や結婚式など人手が必要な時に行われた。義務的なオヤク、交換を前提としたユイなどと比べ、自由度の高い私的な共同作業がモヤイで、トナリや組などが集まって一緒に仕事をしたり、お金を出し合ったりして、利益は公平に分配された。味噌や豆腐、コンニャク作りのほか、稚蚕の共同飼育、籾摺り、米搗き、耕耘機の利用、炭焼き窯造り、モヤイ風呂などがあった。西岡(高岡地区)では、電線を敷設する際、何軒かで共同でお金を負担して電柱を立てたこともあった。〈社会生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻506ページ、16巻464ページ