京町藤塚古墳・京町遺跡

 

(きょうまちふじづかこふん・きょうまちいせき)

【考古】

挙母地区京町に所在する7世紀代の古墳(京町藤塚古墳)と中・近世の墓地(京町遺跡)からなる遺跡。矢作川右岸の下位段丘面上に立地し、平成3(1991)年度に試掘調査、同5年度に発掘調査が行われた。京町藤塚古墳は周溝のみが残存する直径16mの円墳と考えられ、周溝から7世紀前半の須恵器が出土している。一方、京町遺跡では土壙55基、火葬墓8基が検出され、ほとんどが一辺の長さ0.7~1.3mの方形のものである。土壙や火葬墓からは鉄釘や煙管のほかにも中世の輸入銭、近世の寛永通宝が出土している。寛永通宝には6枚が重なって出土したものがあり、六文銭の風習があったと考えられる。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻456ページ、2巻438ページ、19巻534ページ、20巻50ページ

→ 中世墓