(きょうゆうざいさん)
【民俗】〈社会生活〉
ムラやシマ、切、組などは山、宅地や田畑、池などの共有地を持っていた。共有地を個人や青年会に貸付けていたところも多く、古瀬間(高橋地区)では鞍ヶ池公園の用地を市に貸していた。稲武・旭地区などでは、明治になってシンハカと呼ばれる共同墓地が設けられ、扶桑・百々・平井(高橋地区)には3つのムラ組の共同墓地がある。集会所や公会堂はムラの集会や演芸、芝居などの活動、モヤイでの味噌や醤油作り、稚蚕飼育などで使われたが、戦後は集会の場所として公民館が建設された。御作(藤岡地区)では公会堂と別に公民館があり、昭和47年7月豪雨のときには避難場所となった。そのほか、消防の詰所や器具庫、青年会場、年貢や祭礼道具、飾り馬の馬具などを保管する郷蔵、ムラ持ちの寺庵なども共有財産であった。また、膳椀や茶碗、長机や飯台、葬式の祭壇などもムラや組で共有し、寺部(高橋地区)の「中町農事組合」は、戦後になると動力式脱穀機を所有した。〈社会生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻503ページ、16巻463ページ