(きょくちごうう)
【自然】
局地豪雨とはある特定の地域に集中的に降る雨で、時間雨量が100mmに達することもある。集中豪雨は、これまで100年に一度といわれてきたが、現在では毎年のように起こる気象現象である。局地的な集中豪雨が多く発生するようになったのは、地球温暖化に伴う海面温度の上昇による蒸発散量の増加と緯度帯の温度差による中緯度偏西風の蛇行、また、蛇行に伴う上空寒気の南下によって地上と上空との気温較差が大きくなり、積乱雲が発達しやすくなっているからである。したがって、我が国ではほとんどみられなかった竜巻の発生頻度も増している。近年、関東では都市内豪雨が発生し、国土交通省の排水機能の上限である時間雨量50mmを上回り、不透水面の多い都市部では地下鉄に流れ込むなどの被害も相次いでいる。その原因は高層建築物の乱立によるヒートアイランドとの説もあるが、東京湾と相模湾からの海風が収束して積乱雲が発達したとの説もある。特に、最近注目されるのは線状降水帯である。例えば、昭和47(1972)年7月の愛知県三河山間部を襲った集中豪雨(昭和47年7月豪雨)は、日降水量が300mmを上回り、旧小原村では山崩れや土石流によって壊滅的な被害を受けた。本来、集中豪雨による被害が発生するメカニズムは、平成12(2000)年の東海豪雨のように9月の秋雨前線を台風の接近に伴うレインバンドやアウターバンドが刺激して発生したものである。ただ、なぜ東海地方であったかは、北太平洋高気圧が東経135度付近に張り出していて、アウターバンドと高気圧からの南東風が収束する、いわゆる線状降水帯が形成されたからである。その結果、伊勢湾の形状が線状降水帯に伴う積乱雲を受け入れやすいこともあり、大きくみれば地形性豪雨ともいえるものである。これに対して昭和47年7月豪雨は、梅雨前線帯で発生した集中豪雨であり、小原地区は東西に延びる梅雨前線帯と伊勢湾と三河湾から吹き込む風の収束域にあたり、局地擾乱が発生しやすい地理的位置にある。さらに、上空寒気の南下によって三河山間部に閉じ込められた暖湿流が山地沿いに上昇して積乱雲が急激に発達し、局地的な地形性豪雨となったものと思われる。
『新修豊田市史』関係箇所:23巻181・183・186・245ページ