(キヨツカ2ごうふん)
【考古】
保見地区篠原町の伊保川の開析谷を見下ろす標高115mの尾根上に所在した古墳。昭和54(1979)年に遺物が散乱しているのが発見され、市教育委員会による発掘調査が行われた。墳丘が完全に失われ、石室の床面がわずかに残っていたのみであったが、人骨のほか、須恵器・馬具・鉄鏃・刀子・勾玉・切子玉・管玉・ガラス玉などの遺物が多数出土した(写真)。馬具を含む豊富な出土品から、本墳は古墳時代後期の6世紀後葉に築かれた地域の有力者の墓と考えられている。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻442・445ページ、19巻436ページ
→ 馬具