(きんのうゆういん)
【近世】
勤王誘引とは慶応4(1868)年に新政府が諸大名や旗本・寺社を対象に明治天皇および新政府の支配を受け入れるよう勧めた勧誘活動。三河国では尾張藩が新政府から三河諸藩および三河に所領を有する旗本に対する勤王誘引を行うよう命じられている。尾張藩は、岡崎藩・吉田藩などと協力してこの職務にあたった。挙母藩は同年2月2日に岡崎藩を通じて「勤王遵奉之道」を守ることを誓う証書を尾張藩へ差し出すよう命じられた。挙母藩は、この命令を受け入れてすぐに証書を差し出している。尾張藩による勤王誘引は、旗本や寺社に対しても行われ、市域では大島役所石川家、松平郷の松平太郎左衛門家、九久平役所鈴木家、則定役所鈴木家などが勤王証書を尾張藩へ提出している。4月、尾張藩は、岡崎・吉田・挙母・刈谷・西尾・西大平各藩に旗本を説諭して新政府に従わせるよう命じた。挙母藩は、酒呑役所鈴木家、大島役所石川家、宮口村の内藤家、本地役所松平家、則定役所鈴木家、西広瀬村の青山家、殿貝津村の内藤家、千足村の松平家の計八家の説諭を担当するよう命じられ、これに従事している。なお、尾張藩は三河諸藩に寺社へも勤王誘引活動を行うよう命じており、各藩の説諭を受けた寺社も勤王の意をあらわしてゆく。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻740ページ