(ぐがんじ)
【古代・中世】
和会町に所在する真宗大谷派寺院。寺伝では中世の開創とするが、江戸時代・17世紀に矢作川の水難で寺域すべて流失したという。18世紀に寺院としての整備がなされ、寛政元(1789)年の聖徳太子影像・七高僧連坐影像を安置する。現本堂は明治9(1876)年の再建である。同寺の歴史的特色として指摘できるのは、親鸞・蓮如などの本願寺歴代影像に加えて法然絵伝、蓮如絵伝まで所蔵し、さらには、室町時代の制作と推定される「山越阿弥陀三尊図」「十三仏図」「千手観音像」等、数多くの仏教絵画を所蔵していることである。それらの多くは幕末・明治期の同寺住職であった芳野唯照の収集品である。唯照はそれらを参照し、画才を発揮して自身でも数多くの仏画を描いた。蓮如絵伝や八大地獄・閻魔王庁・九相図、羅漢図等が唯照の筆として現存している。真宗僧侶の文化人的な一面をよく見出すことができるといえよう。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻189・275ページ