管玉 

 

(くだだま)

【考古】

両端面中央から孔が穿たれた細身の円筒形の玉で、紐を通し連ねて装身具として用いられた。縄文時代に石製のものが出現し、弥生時代にはガラス製品も作られ、そして古墳時代には石製品が量産化されて盛行した。市域では、縄文時代の管玉の出土はなく、弥生時代では上郷地区川原遺跡の中期後葉の包含層から石製品6点およびガラス製品1点(二次加工あり)が、また後期の墳丘墓周辺から石製品10点が出土している。古墳時代では、14基の古墳から出土し、中期の高橋地区神明社古墳出土品(1点、碧玉製、6世紀前葉)が最も古く、いずれも後期古墳からの出土品である。量的には挙母地区豊田大塚古墳の24点が最も多く、次いで保見地区キヨツカ2号墳の19点、同地区藤山1号墳の11点となっている。材質は、高橋地区南山畑2号墳の出土品3点が土製品であるほかはいずれも石製品で、そのほとんどが碧玉製である。わずかに高橋地区南山畑2号墳に蛇紋岩製品、同地区荒山1号墳に水晶製品がみられる。古墳以外では、挙母地区梅坪遺跡や高橋地区堂外戸遺跡、上郷地区矢迫遺跡・神明遺跡・本川遺跡等でごくわずかな出土がみられる。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻320・346・455ページ、19巻427、436・560・638・680・698・722ページ

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