(くまのじんじゃぶたい)
【建築】
明川町(足助地区)。熊野神社の境内は山裾に位置し、南北に長い。本殿と拝殿は、境内の北端に位置し、舞台は、本殿と拝殿のほぼ中心軸線上に相対するように北向きに配置される。舞台の建立年代は、棟札によれば嘉永5(1852)年に再建され、棟梁は三州幡豆郡川口村の石川仙輔忠良、加茂郡大給村の加藤常蔵であった。その後、平成元(1989)年10月には修復工事が行われ、屋根修理のほか、後補の集会場の天井や間仕切りが撤去されて、もとの姿に復された。現舞台は、寄棟造、茅葺(鉄板覆)、平入の大型の建物で、小屋組などの保存状態も良い。建物規模は、桁行15.850m、梁間7.350m、舞台高0.995mである。舞台は地形の高低差を巧みに利用して建てられ、一部に奈落が造られ楽屋になっている。舞台の外観は、正面では大虹梁を入れるほかは、両袖に格子窓がなく、土壁仕上げで、側背面の腰下に下見板を張る。舞台内部は、前両隅に太夫座の取り付け痕跡が残るが、現在は下手側では取り払われ、上手側では道具入れが造作され、その上部に太夫座が造られている。舞台中央には、「ふすま落とし」が造られ、背面には遠見(借景機構)の舞台機構もみられる。また、舞台後方の両隅には木階が造られ、奈落を楽屋として使用される。この舞台では、特に、地形の高低差を巧みに利用して、奈落を造っている点が特徴で、このほかの遺構には葛沢の八幡神社舞台(明治4年)、怒田沢の諏訪神社舞台(明治30年)、西樫尾の八幡社舞台(明治33年)があり、足助地区や小原地区に多く分布する。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻447ページ