(くまのじんじゃぶたい)
【建築】
大坂町(小原地区)。熊野神社の境内は、山裾に位置し、南北に長く広がる。本殿と拝殿とを結ぶ軸線の延長線上に配置される。建立年代は、棟札によれば、文化11(1814)年8月の建立とされる。庄屋は二村作重(郎)、大工は三州賀茂郡小原郷仁木村の嘉平であった。また、大虹梁両端に彫られた渦・若葉模様の彫刻にも江戸時代後期の特徴がみられる。それ以後も、寄進札(年号不明)によって、屋根の取換え工事などの修理が行われたことがわかる。現在の舞台は、入母屋造、桟瓦葺、一軒疎垂木、平入であるが、もとは茅葺であった。規模は、桁行9.355m、梁間3.945m、床高0.850mで小型の拝殿型の舞台である。舞台は柱のみで壁がなく、長方形平面で上手側に間口1.820m、奥行0.845mの太夫座が張り出して造られる。舞台正面では、上部に渦・若葉模様が施された背の高い大虹梁を架け、その下部には地芝居の上演時には取り外せるような仮設の中柱が2本入れられている。舞台前框の下部では縦板を入れて目隠しをしている。また、下手側の舞台前框には花道の掛け木の取り付き痕が残る。この舞台は、江戸時代後期と比較的に古く、柱だけの素朴な拝殿型の形式を取るなど、当地方における初期的な舞台形式を知る上で、また舞台建築の変遷と発展過程を考察する上で重要な遺構である。この舞台形式の類例としては、小原地区の阿知矢神社舞台(宮代町・文化2年)、藤岡地区の八柱神社(三箇町・安政3年)など比較的に建立年代の古い遺構が残されている。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻445ページ