(くまのじんじゃまっしゃ)
【建築】
桑原町(稲武地区)。熊野神社末社は、明治11(1878)年再建の神明造の本殿脇に建つ。建立年代は、明和6(1769)年の棟札が残り、様式的にも18世紀後半頃と判断される。本殿は、小型の一間社流造で、軒は一軒繁垂木、屋根は杮葺で箱棟を上げる。妻飾は虹梁上に円束を立てて化粧棟木を受ける。破風の拝みと降りに蕪懸魚を吊る。身舎柱は円柱で、土台上に立て、四周に縁長押を廻らし、側背面の柱間には内法長押と頭貫を通し、頭貫端に木鼻を出す。内法長押は正面で枕捌きに納めて内方へ廻らせ、柱上では頭貫を通さないが、桁行方向に木鼻のみを出す。柱上には出三斗を載せ、軒桁と妻虹梁を受ける。中備は用いない。身舎の側背面は横板壁である。正面は柱間を開放してこの奥1尺ほど入った位置に内陣の戸口を設け、これより前を吹放しの入込みとする。内陣正面は両端に4分の1円の柱を立て、縁長押・敷居・鴨居・内法長押・頭貫を通し、両開き板唐戸を吊る。身舎の正面には切目縁を設け、その前に木階6級を置く。庇柱は几帳面取角柱で、柱間には頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上では連三斗を載せ、中備に波に千鳥の彫刻を入れる。庇柱と身舎柱との柱間には海老虹梁を架ける。この社殿は側面の縁・脇障子もなく、妻も簡素に扱うが、身舎正面に頭貫を通さず、木鼻のみを入れる点は特異である。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻257ページ