(くもんじょ)
【古代・中世】
中条氏の下で、高橋荘を支配するために置かれた役所。高橋荘は猿投社などを含む北方、矢作川東岸の東方、西岸の西方という3つの方に分かれていたと考えられる。そのそれぞれに公文所が置かれ、中条氏からの指示を受けて現地での実務に携わっていた。正慶2(元弘3・1333)年に、猿投社の拝殿造営のため、神田を1年だけ売却したいとの作人の申請を中条氏が許可して、その旨を北方公文所に通知している事例もある。また、特に西方の役所は中条氏の居館を兼ねていて、ここに出仕した被官は、中条氏の当主に事案を言上して指示を受けていたようである。西方の役所は他の公文所とは異なる高橋荘全体の支配のための拠点であった。それが政所であった。公文所は、そうした政所の下位に置かれた出先機関ということになろう。公文所につとめる中条氏の被官は、地元ではなく他の方に拠点を持ち、そちらからわざわざから出仕してくることもあった。中条氏による荘内への統制力の強さがうかがえる。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻308ページ