桑田和町北貝戸遺跡

 

(くわだわちょうきたがいといせき)

【考古】

足助地区の桑田和町北貝戸ほかに所在する縄文時代を中心とする遺跡で、足助川と菅生川・菅川の合流点南西側の広い河岸段丘上に立地している。昭和56(1981)年に発見され、57年と平成4(1992)年に発掘調査が行われている。昭和57年の調査では、縄文時代早期後半の集石遺構1基と、弥生時代中期瓜郷式の完形に近い壺・甕および五角形長身鏃が出土している。平成4年の調査では、縄文時代早期前半の竪穴建物跡2基と集石遺構8基、中期後半の集石遺構1基と土坑1基、後期前半の埋設土器3基が検出された。竪穴建物跡は、すり鉢状の掘り込みから小規模な柱穴と思われる小ピットが検出されたもので、県内でも数少ない早期の竪穴建物跡である。遺物は県内でも出土例の少ない縄文時代草創期後半の多縄文系土器が出土し、縄文時代早期前半の押型文土器では、東海地方では一般的ではない縄を巻き付けた棒状工具を縦方向に転がして文様を付けた中部高地系タイプのものが多量に出土している。さらに、縄文前期後半の土器の表面などに塗布された赤色顔料であるベンガラ塊が13点出土している点も、注目される。石器は後期旧石器時代の木葉形尖頭器や縄文時代草創期の有舌尖頭器、また古代以降の遺物としては包含層中から9世紀後半の完形の濃尾型甕が出土し、時期が特定されてはいない掘立柱建物跡1基、中世の集石遺構1基が検出されている。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻55・68・84・90・158・218ページ、18巻430ページ、19巻360ページ、20巻556ページ