(けいさつしょ)
【近代】
近世の地域社会における治安維持機構は、その土地を支配する領主制ごとに異なっていたが、明治維新後、そうした機構は再編され、全国的な警察制度のもとに統一されていった。市域でも、挙母藩の時代は番人役・村廻役などが置かれ、村々の力で治安維持が行われており、額田県は明治5(1872)年4月に番人役や村廻役などを郷方廻役として継承した。しかし、明治8年以降、警察制度が全国的に展開すると、こうした村々による警察事務は廃止された。それに代わる官設の警察吏の名称は、番人から邏卒、そして巡査へとめまぐるしく変化し、それに伴って、明治7年7月に挙母村に設置された第13番番人屯所も、挙母邏卒屯所、挙母巡査屯所に改められた。明治9年12月には愛知県警察機構の改革を受け、警部1人と巡査3人からなる警察分署が挙母村と足助村に設置され、その分署のもとに、巡査12人からなる屯所が置かれた。さらに、明治12年11月には、挙母分署は挙母警察署に昇格し、足助村に分署が、力石・大坂・飯野・九久平・明川の各村に交番所が置かれた。
『新修豊田市史』関係箇所:10巻765ページ