(けいちょうじしん)
【自然】
慶長地震は南海トラフと関係した地震と考えられるが震動の記録が少ない一方、津波の被害が広範囲に記録されていることから、津波地震であった可能性も指摘される地震である。震央は北緯33°、東経134.9°付近でマグニチュード7.9とされる。津波は千葉県の犬吠崎から九州太平洋岸に達し、浜名湖口西岸の橋本(新居町浜名)では、80軒の人家が流失し死者を出した。渥美郡田原では、田原城の矢倉がゆり崩し(田原城主考附録)、石垣もゆり崩されたとされる。渥美郡堀切では「地震ししつ打ち片浜の船皆打破れ、漁網を流失した。人知らず明日見て驚なり」(常光寺年代記)と記録がある。紀伊半島西岸広村では地大いに震い紀州沿岸に津波襲来し、広村は人家1700余戸のうち700戸流失し多数の死傷者を出した記録がある。その他阿波の鞆浦や宍喰でも津波が襲い、多数の溺死者を出している。
『新修豊田市史』関係箇所:23巻662ページ