建築工程  

 

(けんちくこうてい)

【民俗】〈住生活〉

かつては多くの人が私有林を利用して家を建てた。山にはマツ、スギ、クリ、ヒノキ、ベボ(杜松)など建築に必要な樹木が豊富にあり、大工と相談して樹種を決めると、キリコと呼ばれる専門の職人が伐採を行った。材木の搬出にはナラ材でつくった木馬道が使われた。この後、材木の乾燥、製材をするが、建材の準備が終了するまでおよそ2年を要したという。建築にあたっては最初に地搗きを行った。これには、重さ15kgほどの山の石に穴をあけて棒と綱を利用して叩きつける方法と、櫓に滑車をつけて大木を叩きつける方法があり、女たちが地搗き唄を歌いながら作業を行った。夏焼(稲武地区)では、大黒柱の位置から始め、亭主柱、ニワ大黒、隅柱の順で搗いた。そこに土台石を据え、丁張りをして水平をだした。一方、大工はチョウナ(手斧)で材をはつる所作をしてから大工作業に入った。建前の日には柱組み、屋根組み、棟上げを一気に行った。最初に建てるのは大黒柱と亭主柱で、両者の上部には長押や鴨居をあらかじめ組んでおいた。これらの主要な柱には傷がつかないように紅白のの晒を巻いた。側柱も同じよ うに桁や梁を組んでおき、一気に引き上げた。つづいて叉首さすを組み、棟木を乗せて、軸組みと小屋組みが完成する。日を置かずに屋根を葺いた。ここからがシャカン(左官)の出番で、壁作りが始まる。貫を通した柱間にコマイ竹を編んで下地を作る。そこに壁土を塗り付けた。壁土は、オシギリで細かく切った稲藁を赤土に入れてこねたもので、親戚や組の人たちが作った。地域によってはドロコンとかドロヤと呼ばれる店があり、そこから壁土を購入した。シャカンはニワのタタキ作りやクド作りなども行った。これと並行して、大工は板床や板縁を張り、2 階の床なども作った。最後に障子や板戸の取り付け、畳入れを行えば完成である。〈住生活〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻439ページ、16巻423ページ