小出権右衛門家

 

(こいでごんえもんけ)

【近世】

小出家は権三郎家を本家とし、権右衛門家はその分家である。足助田町に在住し油屋を屋号としていることから、もともとは灯油販売を生業としていたものと思われる。その経営的な上昇には水車経営(文化期に香積寺控え地に同家の水車が設置された)があったものと推定されるが、その水車が絞油業と直接つながるものかどうかは判然としない。その経済力と行政的な手腕が買われ、足助4町を含む旗本本多家知行所の大庄屋を20余年にわたって勤めた。地域における紛争等の事案処理や調達金の賦課・配分などの業務に辣腕を振るったが、その一方で自身の家政は不安定で、幕末を待たず同家は分散=破産してしまう。その事績を知る文書類も本家権三郎家に移され今に至っている。なお、同家の経営悪化は旗本本多家への御用金調達に起因しており、そこで負った借財のために家財の売り払いと大庄屋役の退役が申し出られている。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻205・567ページ