光恩寺本堂・庫裏

 

(こうおんじほんどう・くり)

【建築】

竹元町(高岡地区)。寺伝によれば、本堂は天保年間(1830~44)了観の時、現在の本堂に改築された。本堂(写真)は、入母屋造、桟瓦葺、軒は二軒半繁垂木、向拝1間(実長3間半)付で東面する。本堂の規模は、桁行実長12間半、梁間実長10間の江戸時代末期の大型の真宗本堂である。間取りは、前より間口7間半、奥行3間半を外陣、その奥の1間を矢来内とし、外陣の正側三方には1間幅の広縁と正面に半間幅の擬宝珠高欄付の落縁を付け、正面中央に向拝と木階3級を設ける。堂後半では中央後方の間口3間半を内陣、両脇の間口2間半を余間とし、ともに奥行は3間半で、その内の背面半間に脇仏壇と余間仏壇を設ける。余間の外側には間口2間の飛檐の間を配し、堂背面には奥行1間の後堂を通している。来迎柱と須弥壇を用いる後門形式をとり、柱は来迎柱と内陣廻りと余間廻りを円柱とするほかは面取角柱を用いる。床高は余間を上段、内陣を上々段とする。虹梁は落縁・広縁境の柱間、矢来内正面の柱間、外陣内梁行の柱間、脇仏壇・余間仏壇正面の柱間、来迎柱の柱間に渡され、矢来内正面の中央間の虹梁上には蟇股、余間仏壇の虹梁上に出組を載せる。外陣外廻りは柱間に双折桟唐戸と旧障子を入れる。内陣および余間正面は柱上に出組斗栱を載せ、中備彫刻蟇股、内法上に天女や雲や鶴の高肉彫欄間を嵌め、柱間に双折巻障子を吊る。内陣および余間内部にも出組斗栱と蟇股を配す。天井は広縁を鏡天井、外陣と矢来内と余間を小組格天井、内陣を折上小組格天井、飛檐の間を棹縁天井とする。この本堂は、幕末に建立されたものだが、塗装はほとんどなく、欄間・蟇股などの彫刻が特徴である。庫裏は、桁行12間、梁間6間、切妻造、桟瓦葺、平入で東面建ち。軒一軒疎垂木。間取りは復原すると土間付の整形六間取りとなる。建立年代は、寺伝によれば、19世紀中頃である。

『新修豊田市史』関係箇所:22巻85ページ