(こうがいもんだい)
【現代】
高度経済成長期に顕在化した公害問題に対し、豊田市は早くから行政機構の改革を進めた。昭和40(1965)年4月に産業経済部商工課へ公害係を設置し、翌41年には公害対策審議会を条例に基づいて立ち上げている。45年4月に公害係は公害課(総合企画部)に昇格した(職員4人)。46年9月には公害対策審議会条例を廃止して豊田市環境基本条例に改め(環境対策審議会の設置)、同年11月には公害調査センターが当時の水道局庁舎の2階に完成した。昭和47年度の豊田市公害調査報告によれば、公害課に寄せられた公害発生件数は全154件、騒音公害が39件(25.0%)で最も多く、以下、汚水(19.5%)、ばい煙(18.8%)、悪臭(16.9%)と続いていた。このため、昭和47年3月には豊田市公害防止条例を制定した。同条例では、公害を事業活動等で生ずる大気汚染、土壌汚染、騒音、地盤沈下、悪臭等によって健康被害を受け良好な環境が阻害されることと定め、市、事業者、市民が一体となって公害を防止することを目指した。同時に公害監視員制度も発足させ、監視員には市内の医師、薬剤師、人権擁護委員など36人に市長が委嘱し、公害の発生状況の監視・調査、公害に関する苦情・相談の受け付け、公害防止のPRなどの取り組みを行うことになった。また同条例に基づき事業者とは必要に応じて公害防止協定を結ぶことになり、昭和48年7月2日にはトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)との間に公害防止協定が締結された。その一方でトヨタ自工上郷工場の公害の実態が明らかになり、上郷工場周辺の永覚町、上郷町、西田町、大成町、和会町の5町の区域内における区長、区代表役員(永覚、上和会、中和会、下和会、上郷大成、西田町の6自治区)をもって環境保全対策連絡協議会が昭和48年12月に組織化された。調査・研究、補償交渉、工場周辺の緑化推進を目指し、翌49年にはトヨタ自工より協力費1000万円を得た。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻202ページ、14巻332ページ