(ごうがっこう)
【近代】
一般には江戸時代から明治初年にかけて各地で設立された、藩校や寺子屋、塾以外の教育機関を意味する包括的な歴史用語だが、愛知県域では、明治5(1872)年6月、各地域の民衆の資力によって設置および運営することを当時の額田県が企図し、その設立を促したことにより誕生した学校を指す。明治5年の学制発布以後は学校数も増加していく。その運営に当たっては、例えば加茂郡九久平村のように地区内の官林から発生する利益を校費に充当するなど、独自の工夫を凝らしていた。教育面では当初、加茂郡挙母村の挙母郷学校のように比較的高い水準の教育内容を施す郷学校もあれば、寺子屋などで行われていた旧時代の教育内容を踏襲していた郷学校もあるなど、不統一であった。こうした教育内容の不統一は「教則並諸規則」制定以後、次第に解消されていった。額田県が愛知県に合併されて以後、郷学校は義校へとその名称を改めることになった。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻101ページ
→ 義校