鉱業  

 

(こうぎょう)

【近代】

市域の主要鉱業には、西加茂郡での石粉および亜炭生産があった。まず石粉は明治期以来のものであり、陶磁器原料として使用された。明治25(1892)年の『三河国西加茂郡誌』には、陶土石坑として、小原・藤岡・猿投・保見地区の大字が挙げられている。採掘した正長石をビクで家まで運び、石臼や水車臼に入れて杵で石粉にした。字の共有山から正長石を得る場合は、つるはし税を字に納めた。石粉は瀬戸や赤津に輸送された。大正期になると石臼に代わってトロミルが導入され、生産性は急激に上昇した。大正14(1925)年には、石粉輸送を主目的として、古瀬戸-藤岡村木瀬に尾三索道が架設されたが、道路網の発達に押され、昭和9(1934)年に休業。また、亜炭は石炭の中で最も品位の低い種類であるが、燃料需給の逼迫が深刻化した戦時期・占領期には活発に採掘されており、西加茂郡も主産地として知られていた。戦時期には、猿投の亜炭鉱で在日朝鮮人が働いていたと伝えられている。占領期の資料では、挙母炭鉱、田邊炭鉱、田村炭鉱が西加茂郡内の亜炭鉱として記録されている。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻133・554・715ページ、12巻356・819ページ

→ 石粉トロミル尾三索道