高月院文書 

 

(こうげついんもんじょ)

【近世】

松平町の高月院に伝来する文書群。そのうち、室町末期から江戸時代にかけての7点・31冊が市指定文化財となっている。大永3(1523)年正月11日付松平道閲(長忠)安堵状をはじめとする4点は現在1巻につながっている。松平道閲が母の菩提を弔うため、高月院に土地を寄進したことに関する一連の文書であり、大永2年3月13日付松平信長売券、大永4年正月11日付松平信長売券、大永7年正月吉日付松平道閲寄進状がある。6月28日付板倉勝重書状は、慶長8(1603)年以前と推定され、従来散在していた高月院領100石を松平郷に集約し、渡すことを松平郷村役人に命じた書状である。元禄14(1701)年5月21日付東山天皇綸旨は、第18世住職聖誉天及に紫衣着用を許可するものである。元禄14年9月10日付東海道人馬朱印状は、5月に紫衣着用許可の綸旨を得たことに伴い、東海道を往来する道中、各宿場で人足8人と馬5疋の提供を認めた徳川綱吉の朱印状である。第26世住職恢誉善隆は、文政から嘉永にかけて日誌「恢誉上人御代日鑑」を記しており、現存する30冊は当時の世情を知る貴重な史料である。「村々百姓騒立諸事日記」は、天保7(1836)年に発生した加茂一揆を見聞した高月院役僧の記録で、一揆のただなかにあった高月院の僧侶による記録として貴重なものである。

『新修豊田市史』関係箇所:6巻186ページ、9巻503ページ