(こうしぜんのじょうかんとくでん)
【美術・工芸】
孝行息子・松野善之丞を主人公として享保18(1733)年に刊行された実録物『孝感冥祥録』は総出版部数が1万部を超えるヒットとなり、この本文に挿絵を加えて天明2(1782)年に刊行されたものが『孝子善之丞感得伝』である。『孝感冥祥録』によれば、奥州伊達郡の孝行息子である松野善之丞の父・善四郎が正徳4(1714)年、重い病に伏せると、善之丞は神社仏閣3か所を毎晩参詣し病気平癒を祈願する。この功徳により、享保元年地蔵の案内で彼は地獄・極楽のありさまを生きながらに見学することとなった。その後、彼は浄土宗の念仏僧・無能和尚の下で出家し、直往と号したという。『孝子善之丞感得伝』はしばしば絵画にも仕立てられ、豊田市では観音院(千足町)に、後に観音院住職・貞棟となる鈴木猪兵衛が描いた文政12(1829)年制作の8幅に及ぶ掛幅として伝存する。これはこの説話を描いた絵画としては福島県・観音寺の作例と並び大規模なもので、天明2年版本の全挿絵を掛幅化している。三河地方ではほかに岡崎市九品院に2幅本の「孝子善之丞一代の画」がある。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻179ページ