(こうしょうじほんどう)
【建築】
大沼町(下山地区)。現本堂は、棟札によると明和9(1772)年に真宗の道場として建立されたものである。本堂は、桁行実長5間、梁間実長4間、入母屋造、茅葺(鉄板覆)、向拝1間(実長2間)付の小型の本堂である。柱は向拝柱と仏壇前の中柱2本を円柱とするほかは面取角柱とする。間取りは、前よりの間口5間、奥行2間半を外陣、その後方中央の間口2間を内陣、両脇の間口1間半を余間とし、ともに奥行1間半で、その内の背面の奥行半間を通し仏壇としている。本堂の正側三方には、半間幅の濡縁を廻らし、正面中央に向拝と木階2級を設ける。軒は一軒疎垂木。外陣外廻りでは、正面の中央柱間をやや広めて角柱を2本立て、各柱間には縁長押・敷鴨居・内法長押を入れ、後補の腰高ガラス障子戸を引違いに戸閉まっている。堂前半の外陣内部は、25畳の畳敷の1つの大きな空間で、天井は棹縁天井を張る。堂後半の内陣では、床長押一段高めた上段として、内陣正面の両隅に角柱を立て、正面柱間には内法位置に下に溝がある虹梁を架け、虹梁と天井桁間には、2等分して板欄間を嵌める。側面柱間は鴨居上を小壁とする。内陣背面では和様仏壇の前面に円柱2本を立て、仏壇が3つに分けられている。各柱間には頭貫・台輪を通して、円柱上部には拳鼻付の三斗が置かれ、天井桁を受けるが、左右の仏壇の柱間にはさらに虹梁と板欄間が加えられている。内陣廻りでは、もとは引違いの建具が入れられ仕切られていた。両余間正面の外陣境では、無目敷居を入れるが、上部は小壁を造らずに柱間を解放し、余間は外陣と凹型に一体となり、外陣の棹縁天井がそのまま延長されている。余間背面には奥行半間の和様仏壇が造られる。この堂は、内陣の上段や仏壇前を除いて、彩色が殆どなく、斗組を用いず、棹縁天井を張るなど邸宅風の佇まいの堂で当地方の道場の特徴が見られる。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻137ページ