(こうち)
【民俗】〈農業〉
耕地としては田は畑よりも重視され、いかに田地を広げるかに関心が払われた。傾斜地の多い市域山間部では、狭い土地を棚田にして利用し、田1枚あたりの面積は狭かったが、「五反百姓」であればそれなりの農家とされた。一方、平野部では、5反の規模では「水呑百姓」といわれることもあった。ツクリツチ(作り土・耕土)が深いところは良い田であり、山間部では深さ1尺(約33cm)程度で良田とされたが、平野部では深さ1mで上々とされた。田を新たに作るときは、水漏れを防ぐために底に赤土や粘土質のハガネツチを入れ、次に黒土を入れた。タコ搗きをして床締めを行うとよかったが、それができない家も多かった。水漏れとは反対に、平野部では排水に苦労した田も多く、耕作できないような湿地はヌマ、ドブなどと呼ばれた。一方、ツチミ(土身)が田に向かないところでは、畑主体の農業とせざるを得なかった。山間部の畑は屋敷周りに設けられたが、アカット(赤土)の多いところでは山の奥まで、千枚田のように細かな畑を幾段にも設けた。畑は長年かけて痩せ地を肥やして作物が取れるようにしてゆくもので、施肥と土入れを繰り返して耕土を育てていった。土質をみると、市域平野部の矢作川沿いの耕地は、風化花崗岩粒の混じったスナジ(砂地)や粘性のある黒土であるクロボコ(クロボク)を特徴としている。耕地の呼称は、位置、性質などによってさまざまである。平野部では水田耕作に適した低地をフクジ(福地)、台地上で灌漑用水に乏しい場所をカンジ(乾地)と呼んでいる。田は性質による呼称が目立ち、深い湿田はヌマダ、フカダなどと呼ばれ、乾田はカゴダ、サビタなどと呼んだ。やや湿りやすい田に対してはジュルイタ(ジュル田)の呼称も聞かれる。新旧で区別する呼称もあり、カイコンチ、シンデン、シンタ、コデンなどの呼び方もあった。畑作地はヤマの畑、ウエの畑、ニシの畑など立地・方角に基づく呼称が多い。〈農業〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻93ページ、16巻32ページ