耕地整理

 

(こうちせいり)

【近代】

耕地整理は土地の交換や分合、区画の整理、道路や溝の変更・改廃、排水・灌漑事業などによって土地の利用価値を高める改良事業である。明治32(1899)年政府は、土地区画の整理事業を円滑に進めるために耕地整理法を公布し、翌年施行した。さらに政府は明治42年同法を改正して、耕地整理組合による改良事業を進めた。これを受けて明治43年10月、碧海郡上郷村では耕地整理組合の設立が協議され、悪水排除や耕地整理に関する調査を行った。そして同年11月には耕地整理組合規約を制定した。その後、碧海郡高岡村では大正10(1921)年に耕地整理組合が設立され、丘陵地の山林原野が開墾され、用水などを整備して開墾事業が実施された。大字吉原、大字若林、大字駒場で耕地整理事業が進められ、戦後まで事業を継続して昭和20年代に至って完了することになった。吉原では大正12年3月に耕地整理組合を設立し、用水開鑿により耕地面積を拡大した。若林では丘陵地に水路を開鑿して水田とするために、大正14年5月竹陽耕地整理組合を設立し、昭和3(1928)年7月用水工事に着手し、揚水機を設置して65町歩を水田とする事業を成功させた。また駒場でも大正15年8月駒場耕地整理組合が設立され、駒場用水路の補強、揚水機の新設などにより開墾地の増加が図られた。戦後昭和28年2月、駒場土地改良区が新設され、38年まで用水・灌漑事業を継続した。高橋地区でも、昭和9年11月高橋村耕地整理組合が設立され、用排水路を整備して耕地整理事業が実施された。

『新修豊田市史』関係箇所:12巻28ページ

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