(こうみんかん)
【現代】
豊田市で本格的に公民館活動が展開される端緒となったのは、昭和41(1966)年の1中学校区1公民館設置構想である。同構想に基づく設置第1号が昭和48年に開館した高橋公民館であり、平成2(1990)年の末野原、猿投台の2つの公民館の設置をもって、当時の全20中学校区に公民館が設置されたのである。公民館活動の発展経緯を豊田市では5期に分けている。1期:草創期(昭和20年~)、2期:模索期(昭和34年~)、3期:発展期(昭和46年~)、4期:充実期(昭和55年~)、5期:転換期(平成4年~)である。社会教育が飛躍を遂げていくのが第3期以降であり、各中学校区への公民館設置が大きなきっかけとなった。どの地区公民館もさまざまな主催事業を実施し、自主活動のグループ育成にも注力した。第4期の充実期に入った昭和58年度における公民館は、挙母町に置かれた中央公民館に加え15地区公民館体制になった。うち9館はテニスコートや野球兼ソフトボール場も併設されたが、都市公園の未整備とも相まって地区ごとのアンバランスが目立ち体育施設は十分とはいえなかった。それでも公民館は「ふれあいと地域づくりの場として」「憩いの場として」「仲間づくりの場として」「学習の場として」の役割を果たしていった。公民館自主活動グループも増加し、各公民館独自の公民館講座も活況を呈した。第5期に入ると公民館は転換期を迎えた。社会教育に代わる生涯学習という言葉が登場し、生涯学習の拠点となっていく。豊田市では平成元年に豊田市生涯学習推進計画を策定、平成13年に同計画は改定される。行政機構においても平成13年、社会教育課を生涯学習課へと名称変更し、併せて自治振興課から生涯学習関連分を生涯学習課へと移管した。また翌14年には公民館の名称を豊田市生涯学習センター交流館に改称した。こうした改革を経て、交流館はさらにまちづくりの地域拠点として機能・役割を強化していくのである。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻382・389ページ