五か国総検地

 

(ごかこくそうけんち)

【古代・中世】

徳川家康が天正17(1589)~18年にかけて領国の5か国(三河・遠江・駿河・信濃・甲斐)に実施した検地。天正14年豊臣秀吉に臣従した家康は、秀吉の行った太閤検地の影響を受け、自らの領国に検地を実施した。家康は、検地実施の前提として、同15・16年に臨時課税である五十分一役を賦課し、さらに年貢納入法などを記した七か条掟書を各村に発令した。そして17・18年に五か国総検地を実施した(三河国は17年)。検地は村単位で行われ、その結果を記した検地帳が作成された。検地帳には一つひとつの土地ごとに、上・中・下の等級、田・畠の種別、面積、年貢納入者、帳末には等級ごとの集計が記される。面積は、律令制以来の360歩制を採用し、また大(240歩)・中(180歩)・小(120歩)の単位も用いた。このようにこの検地は太閤検地の形態を取りつつ、徳川独自の方式も取り入れている。検地帳は現在5か国に39冊が伝存するが、三河国内のものは8か郷10冊、市域では今のところ見つかっていない。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻601ページ

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