五箇新郷 

 

(ごかしんごう)

【近世】

寛文5(1665)年に上野上村・上野下村・国江村・粟寺村・馬場村が若林村・吉原村との境一帯を開発して成立した5つの新郷をあわせていう。用水の確保のため釜土池の拡張が行われた。幕府の作成した郷帳では上野村に含められているが、岡崎藩はそれぞれに年貢免状を発給していた。郷帳は上記5か村を1村として記載しており、新田高を含まない「元禄郷帳」では2324石余であったが、新田高も含んだ「天保郷帳」では3620石余と増大しているのはこの一帯の新田開発の結果である。新郷も個別に石高を記載している「旧高旧領取調帳」では五箇新郷の石高の合計は986石余である。新郷は五箇新郷以外にもあり、寛文7年に永覚新郷、同9年に槌木新郷、同11年に会下前村(貞享元〈1684〉年に会下新郷と改称)、寛文年間と考えられる広畔新郷・福受新郷が成立している。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻172ページ

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