五月節供  

 

(ごがつせっく)

【民俗】〈年中行事〉

五月節供は端午の節供ともいい、5月5日に男児のいる家で行事を行った。新暦で行う地域が多いが、旧暦あるいは月遅れで行う地域もあった。市域の山間部では、かつては男の子が生まれた場合でも三月節供に人形を飾って祝い、そのため五月節供は行わなかったとされるが、昭和30年代以降は五月節供の行事も行われるようになっている。男児の初節供には、母親の在所(実家)から鯉のぼりや大幟が贈られ、兄弟やシンルイから贈られることもあった。昭和30年代前半の鯉のぼりは和紙製あるいは木綿製で、大幟には鍾馗の絵柄などが描かれ、家紋を入れたところもあった。五月節供の時には柏餅を用意したが、市域でカシワの木が自生しているところはあまりない。そのため、男の子が生まれるとカシワの木を庭に植え、その葉で柏餅を作ったという話が市域全体で聞かれる。また、山間部ではホオの葉を使って作ることも多かった。山間部では柏餅に使う葉や柏餅のことをマキともいった。市域の平野部では、初節供の家を子どもたちが訪問する習わしがあった。鯉のぼりや大幟が立てられているのを目印にして訪れ、柏餅などの菓子をもらった。五月節供の時に菖蒲湯に入ると健康で過ごせるとされ、男の子がいなかった家でも、ショウブとヨモギを束ねて湯舟に入れて入浴した。ショウブの葉を屋根の上に投げ上げたり、草屋根にショウブの葉を挿したりもした。これには魔除けの意味があり、広幡(保見地区)ではこれを「屋根を葺く」といった。市木(高橋地区)では、5月4日の晩にヨモギと菖蒲の葉を束ねて入れたショウブ湯に入り、湯に入れたショウブとヨモギの葉の束を翌日屋根の上に放り上げた。こうした習慣は、ショウブやヨモギの自生地が少なくなったり瓦屋根に変わったりしたため次第に行われなくなっている。〈年中行事〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻719ページ、16巻651ページ