(こくみんがっこう)
【近代】
昭和16(1941)年に制定された国民学校令により、小学校を改組して設けられた学校。戦時体制に即応すべく「皇国ノ道」に則って初等普通教育を行い国民の基礎的錬成をなすことを目的とした。「錬成」とは錬磨育成を意味する。初等科(6年)と高等科(2年)からなり、義務教育年限を従来から2年延長して高等科までの8年とした。しかし、年限延長の実施は戦争の激化に伴う戦時非常措置として無期延期となった。昭和18年度において市域では初等科・高等科を併置したものが57校と大部分を占め、初等科のみが13校、高等科のみは1校だけだった。猿投村北部国民学校の記録によると、同校では毎日朝会後10分間の正座訓練、清掃訓練や集団勤労奉仕など精神的な鍛練を行う一方、理科教育が重視され飼育や観察に力が入れられた。国民学校は昭和22年の学校教育法の施行により廃止され、小学校へと転換した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻643ページ