国民教化政策 

 

(こくみんきょうかせいさく)

【近代】

明治政府は、開国後日本への布教が始まったキリスト教の浸透を防ぐため、またそれまでの神職や僧侶を再教育するために、明治5(1872)年新しく教部省を設けて、維新後の神道一辺倒の宗教政策を変更し、仏教・僧侶を動員した国民教化政策を本格化させた。神官・僧侶へ三条教則、それを具体化した説教の課題(十一兼題・十七兼題)を示して、神官・僧侶の教化の能力を高めさせた。その能力を判定するために教導試験を受けさせ、大教正以下講義・訓導といった教導職に任命した。この試験に合格しなければ神職・僧侶として活動することはできなくなった。教導職に任命された神官・僧侶の活動の拠点として、東京に大教院、府県に中教院、寺社に小教院が設立され、そこで国民への説教が行われた。十七兼題には富国強兵、文明開化、権利義務といった政府が進める近代化政策を国民に理解させる項目もあった。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻66ページ