(こしき)

【考古】

伝統的な「煮る」調理に用いられた土器が甕であるのに対して、「蒸す」土器は甑で、底部に孔が穿たれているか筒抜けになっていることを特徴とする。湯を沸かす甕に載せ蓋をして、火処で熱せられた甕から立ち上る蒸気で内容物を蒸らした。甑の出現時期については諸説あるが、弥生時代後期の小型の有孔鉢は甑であった可能性が高く、市内の挙母地区梅坪遺跡で少量ながら確認されている。東海地方では、古墳時代のおおむね5世紀中葉に新たな火処としてカマドが導入された。西日本では、強力な火力をもつカマドに把手付きの大型甑が伴うことが多いが、県内では6世紀に至るまで大型甑の出土例は非常に少ない。カマドという新しい厨房施設は受け入れられたものの、「蒸す」調理法は容易には受け入れられなかったようである。市域に大型甑が普及したのはようやく7世紀に入ってからで、この頃から米を蒸して食べることがある程度定着したと考えられる。甑は8世紀代まで確認されるが、その後は木製などの道具に置き換わっていったとみられる。写真は高橋地区堂外戸遺跡SB32a・b出土の甑(5世紀末葉)。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻301ページ