越戸発電所

 

(こしどはつでんしょ)

【近代】

越戸発電所は、矢作川最下流に位置するダム水路式発電所で、昭和4(1929)年12月、三河水力電気によって建設された。三河水力電気は当初は早川電力が中心になって計画を進められたが、関東大震災で経営危機に陥り、大正13(1924)年11月、代わって東邦電力系の会社として設立された。高橋村大字平井の左岸、平戸橋下に発電所を設け、最大取水量毎秒28m3により3569kWを発電する計画であったが、その後発電所の上流で取水する枝下用水との調整等を経て計画は大きく変更された。使用水量は毎秒28m3から毎秒51m3に増加し、ダム水路式としてピーク需要に対応できる設備とし、出力も7500kWとした。堰堤は110mほど上流に移し、570mの水路を穿ち、矢作川右岸の猿投村大字越戸字波岩地先に発電所を設置し矢作川に放流する計画とした。水槽には枝下用水への分水口を設け、自動式水門を備えて、水位の変化に応じて分流できる設備とした。分流設備によってそれまでの水争いの要因の一つが取り除かれ、大正15年1月、枝下用水と明治用水の合併が実現した。木材の輸送が陸運中心に移りつつあるなか、昭和4年8月、矢作川木材商組合等からの要望で堰堤上流の湛水地内の左岸に、木竹材揚場および貯木場が設置された(戦時中に廃止)。発電した電力のうち4600kWは岡崎電灯に供給された。この電力供給を契機に岡崎電灯の周波数60Hz化が進み、後に三河地域の電力会社を統合する中部電力の設立につながった。越戸発電所は、枝下用水と明治用水の合併、岡崎電灯と東邦電力との統合など地域再編の契機となった発電所であった。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻573ページ、12巻154ページ、9号1ページ

→ 中部電力(岡崎)