小正月 

 

(こしょうがつ)

【民俗】〈年中行事〉

1月15日を中心として行われる正月行事。旧暦では、この日はその年最初の満月の日であり、中国の暦法が広まる以前は、この日に主な正月行事が行われたと考えられている。新月に当たる元日が年の初めだと意識されるようになると、元日を中心とした行事を大正月というのに対して、1月15日を中心とした行事は小正月というようになった。さらに新暦で行事を行うようになると、小正月の行事を新暦の1月15日に行うようになった地域や、旧正月の行事として行うようになった地域が出てきた。市域では、小正月のことを十五日正月と呼ぶことが多いが、市域山間部ではモチイ(望)とも呼ばれ、満月を意味している。市域平野部では昭和30年代には小正月の行事を行わなくなっていたところも多いが、市域山間部を中心に餅花や繭玉、道具の年取り、成木責めなど、作物の豊かな実りを予祝する行事が行われた。また、正月に飾っていた門松を燃やして左義長を行ったほか、一部の地域ではカドにニュウギを立てるなどした。餅花は、細かく切ってサイコロ状にした餅を、葉を落とした竹の枝先に刺したもので、これを家の中に飾り豊作を祈願した。イナホ、カミノホなどともいい、稲穂をかたどっているとされ、連谷(足助地区)では穂が垂れるように餅をつけると豊作になるといった。繭玉は、繭をかたどった団子をビンカ(タマツゲ)やカシの木の枝に刺したもので、養蚕をする家で飾った。道具の年取りは、農機具に鏡餅を供えて豊作を願うもので、鍬などを洗い筵の上に刃を内側に向けて丸く並べるなどし、鏡餅を供えた。大野瀬(稲武地区)では、小正月の行事を旧正月に行っているが、「旧ドシは百姓の年取りなので、早くトシを取らないと仕事マワリが悪い」といい、旧正月一日の早朝に年取りをした。成木責めは、柿などの庭の実の成る木のところに2人一組でナタと小豆粥を持って行き、1人が「なるかならんか」と言いながらナタで木の幹につけた傷に、もう1人が「なりますなります」と言いながら小豆粥を塗り、木の実がたくさん実るように祈願するものだった。ニュウギは、木の枝を2つに割ったものを家のカドや出入口に立てて魔除けにしたり神仏に供えたりしたもので、小原地区、足助地区、旭地区、稲武地区の各地で作られ、オニュウギ、ニンギなどともいった。ニュウギには直径10cmほどのフシノキ(ヌルデ)やネムノキ、ホウノキなどの枝を使い、断面に「十二月」の文字や、1年の月数を表す12本の線を入れた。木の枝で俵を模したものを同時に作り、恵比須・大黒に供えて豊作を祈願することもあった。稲武地区では、昭和10(1935)年頃まで子どもたちがニュウギや木の棒を持って家を巡り、囃言葉を唱えて鳥やモグラなどの害獣除けを願う行事があった。夏焼(稲武地区)では、ツチンボ(藁たたき槌)を引きずりながら、「ツチンドノがござったに、イグラモチや山へ行け」と唱え、モグラを追った。〈年中行事〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻697ページ、16巻632ページ