古瀬間聖苑

 

(こせませいえん)

【現代】

明治25(1892)年にできた八迫山墓地内の八迫火葬場を、昭和28(1953)年1月、市営として新築し直したもの。昭和34年6月、周辺が住宅地化したことや建物の老朽化などのため、郊外の宝来町(高橋地区)に移転した。宝来町に整備された火葬場は、その後に需要が増大したため、昭和44年、古瀬間町に移転し、豊田市、三好町(現みよし市)、藤岡村、小原村、足助町の4町村による一部事務組合・豊田火葬場施設組合の火葬場として運営されていた。昭和61年4月、豊田加茂広域市町村圏事務処理組合が引き継ぎ、構成町村に下山村と旭町を加え、施設の名称を古瀬間聖苑と改めた。また、同年7月には、稲武町から火葬事務の管理および執行の委託を受けた。合わせて、施設の老朽化に対応するため、明るいイメージへと転換をはかり、火葬設備の近代化と公害防止設備を完備した施設とする計画がたてられた。昭和62年に建設工事に着手し、平成元(1989)年に完成した。


『新修豊田市史』関係箇所:5巻20・376ページ