古銭(銭貨)

 

(こせん(せんか))

【考古】

市域で確認される古銭(銭貨)の大半は、中央に方形孔がある円盤状の銅銭である。初鋳年代が最も古い銭貨は唐銭の開元通宝(621年初鋳)であり、次いで乾元重宝(758年初鋳)、さらに国産の皇朝十二銭の隆平永宝(796年初鋳)と富壽神宝(818年初鋳)が確認されている。これらは小原地区乙ケ林町で発見された乙ケ林出土銭(または大平出土銭)の中に含まれていた銭貨である。市域出土の中世銭貨の多くは北宋銭と明銭で、特に北宋銭の皇宋通宝・元豊通宝・熈寧元宝・元祐通宝・開元通宝・天聖元宝、明銭の永楽通宝と洪武通宝が多い。銅銭は基本的に1枚で1文の価値をもつが、当二銭(2文)や当十銭(10文)などの銭種もある。国内で流通した渡来銭の多くは本銭ではなく私鋳銭(模鋳銭)で、市域で出土した銅銭の9割以上は私鋳銭とみられている。江戸時代になると、寛永13(1636)年に寛永通宝が公鋳された(古寛永は万治2〈1659〉年まで鋳造)。古寛永は「寶」の文字の「貝」の部分の下半が「ス」を呈すもので、寛文5(1665)年に公鋳された新寛永(背面に「文」の文字、文銭ともいう)は同じ部分が「ハ」の状態に変化し、さらに元禄7(1694)年には背面に「文」の文字が無い新寛永が製造されて、以後、渡来銭に替わって広く流通した。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻451ページ、20巻266・270ページ